「子どもが小さいうちは、お母さんがそばにいた方がいい」
「保育園やベビーシッターに預けると、愛情不足になるのではないか」
子どもを誰かに預けようとしたとき、このような言葉や不安に触れたことがある方もいるかもしれません。
特に日本では、乳幼児期の育児は、母親が中心になって担うものだという考え方が、今も強く残っています。
では、子どもの発達という視点から見たとき、本当に「母親が育てること」が必要なのでしょうか。
現在までの研究を整理すると、重要なのは、母親が長時間そばにいることそのものではありません。
子どもにとって大切なのは、
安心できる養育者がいて、自分の気持ちやサインに安定して応えてもらえることだと考えられています。
なぜ「母親が育てるべき」という考えが広まったのか
この考え方に大きな影響を与えた一つが、20世紀に広まった「母性的養育の剝奪」という考え方です。
精神科医のボウルビィは、戦争孤児や施設で生活する子ども、長期間親から引き離された子どもなどの観察をもとに、乳幼児期の継続的で温かい養育関係の重要性を指摘しました。
この研究は、安心できる大人との継続的な関係が必要だという、現在にもつながる重要な視点をもたらしました。
一方で、当時の研究対象には、単に母親と離れていたというだけではなく、戦争や貧困を経験していた、養育者が頻繁に交代していた、栄養や衛生環境が不十分だったといった、複数の不利な条件が重なっていました。
そのため、子どもに見られた問題を「母親と離れたこと」だけで説明することはできません。
その後、ボウルビィの考えは社会の中で単純化され、
「子どもには安定した養育者が必要」という本来の趣旨から、
「母親が常に子どものそばにいなければならない」という考えとして受け取られるようになった側面があります。
愛着とは、母親だけとの特別な関係ではない
乳幼児期の発達を考えるうえで、よく使われるのが「愛着(アタッチメント)」という言葉です。
愛着とは、子どもが不安や恐怖、疲れを感じたときに、特定の大人に近づいて安心を得ようとする仕組みです。
大切なのは、愛着が必ずしも母親だけとの間に形成されるものではないという点です。
子どもは、
- 母親
- 父親
- 祖父母
- 保育者
- 継続的に関わるシッター
など、複数の人とそれぞれ異なる関係を築くことができます。
母親と父親に対する愛着を比較した研究でも、子どもの愛着の安定性はそれぞれの養育者との関係性を反映することが示されています。つまり、母親とは安定した愛着を築き、父親とは不安定になる場合もあれば、その逆もあり得るということです。
これは、子どもが母親一人だけを必要としているのではなく、関わる大人それぞれとの間に安心できる関係を築けることを意味します。
子どもの発達を支える「養育者の感受性」
現在の愛着研究で重視されているのが、「養育者の感受性」です。
養育者の感受性とは、
- 子どもの表情や泣き声、しぐさなどのサインに気づく
- そのサインの意味を適切に読み取る
- 状況に合った方法で応える
という関わりを指します。
例えば、赤ちゃんが泣いたときに、すぐ泣き止ませられるかどうかだけが重要なのではありません。
「おなかがすいたのかな」
「眠いのかな」
と考えながら関わり、子どもが安心を取り戻せるように応えることです。
2024年に発表されたメタアナリシスでは、174研究、計2万人以上の親子を分析し、母親と父親のどちらにおいても、養育者の感受性が高いほど、子どもが安定した愛着を形成しやすいことが示されました。
また、母親の感受性だけが特別に重要だったわけではなく、父親の感受性も子どもの愛着の安定性と関連していました。
つまり、研究が示しているのは、
「母親でなければならない」ということではなく、「子どもに安定して応答する大人が必要」ということです。
長時間一緒にいれば、愛着は安定するのか
愛着は、単純に一緒に過ごした時間の長さだけで決まるものではありません。
長時間そばにいても、養育者が強いストレスや睡眠不足を抱え、子どものサインに応じる余裕を失っていることがあります。
反対に、保育園やベビーシッターを利用している家庭でも、親子で過ごす時間に安定した関わりがあり、子どもが困ったときに安心して戻れる関係があれば、愛着は形成されます。
愛着の安定性と、その後の子どもの対人関係を調べたメタアナリシスでは、乳幼児期に安定した愛着を形成していた子どもは、その後の仲間関係における社会的能力がやや高い傾向が示されました。
ただし、愛着だけですべての発達が決まるわけではありません。
子どもの発達には、
- 生まれ持った気質
- 家庭の経済状況
- 親の心身の健康
- 夫婦関係
- 保育の質
- 周囲からの支援
- その後の生活経験
など、多くの要因が関係します。
「何歳まで母親が育てたか」という一つの条件だけで、子どもの将来を予測することはできません。
保育園やシッターを利用すると、愛着に悪影響があるのか
アメリカで行われた大規模縦断研究であるNICHD Study of Early Child Careでは、乳幼児期から多くの家庭を追跡し、保育の利用時間、開始時期、保育形態、保育の質、家庭環境などが調べられました。
乳児期の保育利用と母子の愛着を分析した研究では、保育を利用したこと自体や、利用時間、開始時期、保育の種類などに、母子の愛着を不安定にする明確な主効果は認められませんでした。
ただし、どのような保育環境でも同じという意味ではありません。
家庭での養育の質が低く、さらに保育の質も低い場合など、複数のリスクが重なることで、愛着の不安定性が高まる可能性は指摘されています。
つまり、
「預けること」そのものが問題なのではなく、家庭と保育先の両方で、子どもがどのような関わりを受けているか
が重要です。
保育者とも愛着関係を築くことができる
子どもは、親以外の養育者とも安心できる関係を築けます。
保育者との関係を調べた縦断研究では、同じ保育者が継続して関わる場合、子どもと保育者の関係の質も比較的安定することが報告されています。
また、保育者など親以外の養育者との愛着を調べた40研究、2,867人の子どもを対象としたメタアナリシスでは、子どもが親以外の保育者とも安定した愛着関係を形成できることが示されました。
特に、一対一の関わりだけではなく、集団の中で子どもの気持ちに応答し、安心できる環境をつくる保育者の関わりが重要だと考えられています。
ベビーシッターについても同様に、担当者が頻繁に変わるより、同じ人が継続して関わり、子どもの生活リズムや安心できる方法を理解していく方が、子どもにとって予測可能で安心しやすい環境になります。
「母親が育てる方がよい」という科学的根拠はあるのか
現時点の研究からは、
母親が小学校入学前まで家庭で育てることが、父親や祖父母、保育者などが関わる場合よりも、子どもの発達に一貫して優れているという科学的根拠はありません。
母親には、妊娠・出産・授乳など、身体的に母親にしかできない役割があります。
また、出産直後には母子の接触や授乳支援、母親の心身の回復を守ることが重要です。
しかし、それは「母親だけが育児を担うべき」という意味ではありません。
子どもの発達に必要なのは、
- 安心できる大人がいること
- 泣いたり困ったりしたときに応えてもらえること
- 養育者が継続的に関わること
- 強い恐怖や無視、予測できない対応が少ないこと
- 遊びや会話を通して気持ちを共有できること
です。
この役割は、母親だけでなく、父親、祖父母、保育者、シッターなど、複数の大人が担うことができます。
複数の大人に育てられることは、子どもにとって悪いことではない
子どもが複数の大人と関わることは、母親との愛着を奪うことではありません。
母親との関係は母親との関係として、父親との関係は父親との関係として、それぞれ育っていきます。
子どもにとって安心できる人が増えることは、困ったときに頼れる場所が増えることでもあります。
もちろん、養育者が短期間で頻繁に交代したり、毎回違う対応を受けたりすると、不安を感じやすくなります。
そのため、保育園やベビーシッターを選ぶときは、
- できるだけ同じ人が継続して関わる
- 子どもの生活リズムを共有する
- 泣いたときの落ち着き方を伝える
- 慣れるまで段階的に離れる
- 親と保育者が情報を共有する
といった工夫が大切です。
保育開始時の移行を調べた研究でも、母親が保育環境に慣れるまでの日数を十分に確保した場合(初めて預けるときは、短時間にするなど、慣らし保育期間が十分にあること)、母子の愛着が安定して維持されやすいことが報告されています。
親が休むことも、子どもの養育環境を整えること
親が子どもを預ける理由は、仕事だけではありません。
- 睡眠を取る
- 病院や美容院へ行く
- 家事をする
- 上の子と過ごす
- 夫婦で話す時間をとる
- 一人で気持ちを整える
こうした時間も、家庭を維持するために必要です。
親が休むことと、子どもを大切にすることは対立しません。
むしろ、親が疲れ切る前に周囲を頼り、子どものサインに気づける余裕を取り戻すことは、安定した養育につながる可能性があります。
子どもに必要なのは、24時間一度も離れない母親ではありません。
離れたあとに戻ってきてくれる人。困ったときに応えてくれる人。安心できる関係を繰り返し経験させてくれる人です。
子育ては、母親一人ではなく、家族や周囲の人、保育者、地域と一緒に行ってよいものです。
誰かに頼ることは、親として足りないことではありません。
子どもが安心して育つための環境を、家族の外にも広げていく選択の一つです。
参考文献と研究概要
1.Madigan S, et al. Maternal and paternal sensitivity: Key determinants of child attachment security. Psychological ulletin. 2024.
174研究、2万人以上の親子を対象にしたメタアナリシス。母親・父親ともに、子どものサインに適切に応える「感受性」が、安定した愛着と関連。母親だけでなく、父親の応答的な関わりも重要であることを示している
2.NICHD Early Child Care Research Network. The Effects of Infant Child Care on Infant-Mother Attachment Security. Child Development. 1997.
アメリカの大規模縦断研究を用い、乳児期の保育利用と母子の愛着を分析した研究。保育時間、開始時期、保育形態、安定性などに、愛着を不安定にする明確な主効果は認められなかった。ただし、家庭の養育の質と保育の質など、複数の条件を合わせて考える必要がある。
3.Ahnert L, Pinquart M, Lamb ME. Security of Children’s Relationships With Nonparental Care Providers: A Meta-Analysis. Child Development. 2006.
40研究、2,867人の子どもを対象に、親以外の保育者との愛着を分析したメタアナリシス。子どもは保育者とも安定した関係を築けることが示された。特に保育者の応答性や集団全体への丁寧な関わりが、関係の安定性に重要とされている。
4.Brooks-Gunn J, Han WJ, Waldfogel J. First-Year Maternal Employment and Child Development in the First Seven Years. Monographs of the Society for Research in Child Development. 2010.
アメリカで1991年に生まれた1,364人の子どもを出生から小学1年生まで約7年間追跡した前向き縦断コホート研究。母親の産後1年間の就労と、子どもの3歳から小学校1年生までの発達を追跡した。就労には負の関連と正の関連の両方があり、家庭環境や保育の質を含めると、全体的な影響は平均して中立的。母親が働くかどうかだけでは、子どもの発達を説明できないことを示している。
5.Groh AM, et al. The Significance of Attachment Security for Children’s Social Competence With Peers: A Meta-Analytic Study. Attachment & Human Development. 2014.
80件の研究・合計4,441人の子どものデータを統合したシステマティックレビュー・メタアナリシス。乳幼児期の安定した愛着は、後の社会的能力と中程度の関連が認められた。ただし、愛着だけが子どもの発達を決定するわけではなく、多数の環境要因が関係。
6.Ahnert L, Gunnar MR, Lamb ME, Barthel M. Transition to Child Care: Associations With Infant–Mother Attachment, Infant Negative Emotion, and Cortisol Elevations. Child Development. 2004.
70人の15か月児を保育園入園前から約5か月追跡した前向き縦断コホート研究。保育開始時の子どもの情緒反応、ストレス反応、母子の愛着を調べた結果、保育開始直後はストレスホルモン(コルチゾール)が上昇する傾向にあるが、十分な慣らし保育を行った子どもでは、母子の安定した愛着が維持されやすいことが示された。預け始める際には、子どもが新しい養育者や環境に慣れる時間を確保することが重要だと示唆された
